『文字を描く』こととは?

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

小暑 第三十一候『温風(あつかぜ) 至る』

 今日は七夕ですが、お天気はあいにくです。もっとも、最近は七夕よりもハロウィンのほうが子ども達には人気で、日本の祭りは、観光地以外の日常生活では廃れていきつつあるのではと危惧します。
 旬のさかなは『鱧』、でも、鮎も食べたいですね。
 今日の珈琲は、「ドミニカ・モカ・ブラジル」のブレンドですが、これが、ドンピシャ、美味しく淹れることができました。


文字は『意』をしめし、『味』をも伝える

 プリントアウトした原稿を束ねてクリップでとめてみてもそれは『本』ではありません。ですから、装丁についての本は、書籍が生まれる秘義、錬金術のようなワザをうかがわせるので、面白いのだと思います。しかも、内容と装丁の間のギャップについて、あっけらかんと装丁家自身が、たとえば、「ゲラはあまり読まずに仕事にかかる」というようなことを語るのですから。
 さて、装丁にまつわることや、その周辺、そして著者との交流のある人たちのことなどについて、「文字には意味ばかりではなく形から伝えるメッセージもあるのだ。と信ずるデザイナーの、これは綴り方教室です。」と、著者自ら語る、平野甲賀著『きょうかたる きのうのこと』は、仕事にはあまり関係ないかも知れませんが、面白くてためになる一冊です。



 「カバーや表紙はときとして、メディアの役割を果たす。」として、「形から伝えるメッセージ」とは一体何か?「文字はただ意をしめすだけではなく味をも伝えるものであることは言うまでもない。では味とは何か。」という著者の問いかけは含蓄があります。
 「僕にとって文字とは意味を知るための道具ではない、その言葉のつたえる信条を理解する手だてだ。つづられた文字の連なりは、一幅の心象風景画を見る思いだ。」という著者は、「僕は文字を(書くのではなく)『描く』ことを選んだ」デザイナーですが、そのタイポグラフィー(コウガグロテスク)は、色彩を感じさせるだけでなく、友人の俳優斎藤晴彦のことばをかりれば、「これは音がする、音楽ですな。」という代物です。
 さて、次の独白、「老人になって仕事の量も落ち着いて、柄にもなくじっくりと自分の形を眺めてみるようになってきた。すると、さまざまな弱点ばかりが目について、そして、『文字は内臓を模倣する』のだとつくづく腑に落ちた。たくさんの見た形、聴いた音、読んだ文章、好きなもの嫌いなものが消化しきれずに、もうすっかりくたびれきって内臓にこびりついている。だが、そこから形が生まれてくる、」は、描かれた文字は人生そのものをうつしている、ということでしょうか。
 それにしても、著者の句読点は、独特で、息の入出を感じさせます。それと、逝ってしまった人々へのそっけない記述に、かえって著者の愛情も感じるのですが。


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