過ぎ去るものと変わらざるものと

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

小暑 第三十一候『温風(あつかぜ) 至る』

 一転、強烈な暑さがじりじりと頭を直撃します。水分補給を忘れずにしましょう。
 今日の珈琲は「ドミニカ」ですが、カリブというのが如何にもあいそうです。



ありえないのだけど、どこかで見たことのある風景と人々

 前回、平野甲賀の本を取り上げました。その流れで、二冊の本に出会いました。もちろん、取り上げた本のなかで触れられていた書籍はたくさんだったのですが、とりわけ印象の強かった本と作家に、まあ、出くわすものなのでしょう。
 一冊は、『東京昭和十一年―桑原甲子雄写真集 (1974年)』です。



 古書ですが、見かけたら手にとって開いてみることをお勧めします。『平野甲賀装丁』は、古さを感じさせませんし、小津安二郎の映画タイトルのバックの布地テクスチャーと感じられるところと、丸ゴチと思われるタイポグラフィーも、やっぱり『平野甲賀』ですね。写真の引き伸ばしは、かの荒木経惟と八重幡浩司です。
 写真からは、一度は見たような風景と、こういう人は確かにいたと思える人物を見かけることができます。時の流れを感じても、決して違和感のない、むしろ、ちょいと横丁に入れば、眼前にある景色に思えるのです。
 火事にあった万年筆工場の水をかぶったと語られる、道端で売られる万年筆は、小沢正一と違って、買った記憶があります。もちろん、それは、昭和十一年ではなく、昭和でも二十年代のことでしたが。足立区や荒川区の風景は、つい最近も、見かけたような気がしています。つい数年前に、足立区なんかは、見知らぬところに見知らぬ人を訪ねたことがありましたから。
 私たち位までは、もちろん手放しにではないのですが、「過去」ではなく「現在」だということでしょうか。
 荒木の「これは桑原甲子雄の郷愁ではなく、現在なのである。写真なのである。私は久しぶりに写真を見ているのだ。」というのとは少し違うのではありますが。そして、池波正太郎の「道を小走りに駆けている少年は、この年代の、この町で暮らしていた私そのものといってよい。」というのと微妙に共感する想いがあるのですが。
 ライカのC型エルマー50ミリとD型ズマールの50ミリのどちらも標準レンズだけで撮られた写真、かっちとした味わいとどちらかと言えば柔らかいとされるボケ味、それぞれのレンズの持ち味みたいなことにも気が向くところもあります。


過ぎ去った青春の残像

 もう一冊が、ずっと近いはずなのに過ぎ去った思いが強い、片岡義男著『たぶん、おそらく、きっとね (novella*1200)』です。まるで、薬師丸ひろ子探偵物語』の主題歌、その一節のようなタイトルです。



 ご覧のとおり、装丁は違います。平野が本のなかで、片岡を取り上げていた事を記憶していて、本屋に入ったらこの本が目についたということです。
 1967年、昭和でいえば42年の東京。私は、当時、大学2年生でしたが、すでに学校にはあまり行かなくなっていました。学校も学費値上げ反対でストばかりでしたが。
 でも、その時代は、前出の桑原の東京より遠い気がします。「黒革のジョドファにチーノ、そして淡いピンクのオックスフォードのボタンダウン・シャツに、深くくすんだ緑色のジャケットを、長谷川(主人公の名前、蛇足ながら)は着ていた。そして、セイコーファイブの自動巻の腕時計、キャバレーのバンドマンではないのが違うのですが(私のまわりに、そんな若者は確かにいましたが)、私自身が、身につけたり、手にした小物やファッションなのですね、登場するのは。
 でも、大学生になってしばらくしてからは、私のファッションは、主として、新宿三越の地下二階のテナントのものになっていきましたが。

 そして、「時代が終わったの。1954年に営業を開始した店なの。それから13年、経営は成り立っていたけれどもはやあのような店の時代ではないんですって。」という言葉に、「たぶん」、そして、「おそらく」、いや、「きっと」、私が小学生になり、大学生になる頃に終わった、ある時代への想いが語られているということでしょうか。
 片岡というと、これまでは、文房具にまつわる本が中心だったのですが、一種の修業小説という、五木寛之にも通じる、過ぎ去る時へのレクイエムも、ときには良いです。平野甲賀については、もう一度、出会いがあったのですが、それについては、次の機会に。


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