京町家にたゆたうときを知る一冊

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

処暑 第四十一候『天地 始めて 粛(さむし)』

 写真は、今回紹介した本の中、『京町家の花ごよみ』に出てくる「のうぜんかづら」です。この花を見かけるときにいつも、ドキッとするのはなぜでしょうか。
 まだ八月だというのに、季節はすっかり秋に。この時期、年齢のせいではないと思うのですが、長袖のシャツがちょうどいいというのもどうなんでしょうかね。
 今日の珈琲は「ドミニカ・カリブ」でした。やや高めの水温で、しかもゆっくり、荒挽きで。

 京都本で前回紹介した、その著者の、原点のように思える一冊です。

京町家の木もれ日杉本歌子 著)


 京都本というと、旅人にとっては、軽妙とは違うが、心が浮き立つ要素がないのもさびしいものです。でも、本書は違います。すでに、著者の京都案内の本を紹介しましたが、これはまた、著者のこころの奥に堆積してきた、重要文化財の指定を受けた京町家に暮らし続けてきた人々しか持ちえない時間の重さを、心や想いを縛る積もり重なるなにものかをふまえて、そんな都の地を訪ねるということを、改めて承知させてくれる本だと言えます。


木もれ日、動く影はこころの揺らぎか

 そうはいっても、そういうことを知ることもまた京都の魅力を深めてくれるのですが。木もれ日は、障子に、光と影を映し、そしてそれが、ちらちらと動くものです。光だけではなくて、影もまた映し出される。美しい、木もれ日の写真が本書の冒頭を飾っていますが、座敷の方はほの暗く、かつての著者のこころの屈託を少し残しているのかもと思いました。歴史と由緒ある京町家に育つということの大変さみたいなことは分かりませんが、あとがきで、それもまた「お開き」になり、終りで始まりとなっていったことを知らされてほっとします。
 とまれ、「京町家の花ごよみ」の示す感性も楽しみつつ、文章を味わう、一冊です。

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