芭蕉より蕪村が好き

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

処暑 第四十二候『禾(こくもの) 乃(すなわち) 登(みのる)』

 よく似た曇り空ですが、実は、西空の一部に青空が微かに覗いていました。ということで、昼ごろには晴れ間も見えたのでしょう。
 季節の野菜は「茄子」です。今日の珈琲は「グァテマラ」です。
 雨の日も、猛暑が続いた後ではいいのですが、やっぱり太陽の顔を見るのは気持ちのいいものです。


有酸素運動プラス川柳が前頭葉への血流を増やす?

 「新型認知症」というのがあるという。健康テーマのテレビ番組で取り上げていました。前頭葉への血流の減少にきっかけになる要因があるというのです。したがって、前頭葉への血流を増やすことで、予防、治療が見込めるということでした。その方法が、有酸素運動、つまり歩くことと、その際に目につくものを題材に川柳をつくることだそうです。

 そうだとすれば、俳句だって、好いのではないかと考えますね。17音で考えるということは、全体を俯瞰して、思考のハンドリングが楽なんだろうと思いますが、私の好みは、芭蕉に比べ蕪村が好き、というものです。理由は定かに自覚できていないのですが。


蕪村のロック向井楠宏 著、古河洋文 写真)



 著者は、あまり俳句とはかかわりない経歴の持ち主のように見えますが、どっこい、俳句というのは、らしいという経歴はないものでもあるように思います。写真も良いですね。特に、『月』のところの。
 しかし、なんで、ある俳人が他の人に比べて好ましいのか、理由は簡単には語れないでしょうね。著者も「その理由を、理屈をつけて説明するのはむずかしい。また説明する気もない。詩とはそういうものかも知れない。」と語っています。まあ、なんとなく、察することで済んでしまうのがいいのでしょう。
 ところで、本書のタイトルですが、それはこういうことのようです。「気がついたのは、不思議なことに、蕪村には、季語とか季節などごとに、私好みの素晴らしい句が、ちょうど六句ほど、そろっている。」そこで、蕪村の六句なんですが、同時に、蕪村の俳句と同じように、時代も国も違いますが、ロックがその後の社会にインパクトを与えたということでの共通性に着目しての語呂合わせということだそうです。
 
 そういえば、北野天神に2月ごろ行ったとき、夕闇に白梅が沈み込んでいくような景色に出会いましたが、蕪村の辞世の句を読んだときに、時間の流れは逆ですが、その景色を思い出しました。



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