『地』はすべてを育む基盤でしょう

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

秋分 第四十八候『水 始めて 涸る』

 西空に月が残っていました。いよいよ秋本番の空気です。落花生も旬を迎える季節ですが、今年の出来はどうでしょう。
 今日の珈琲は、「モカ」です。原点というべき豆だと改めて感じる味わいでした。


『地味』は『滋味』でもあるのでしょう?

 「地味」という言葉について、『大辞林』では、次のようにあります。「華やかさや、けばけばしさのないこと(さま)」、「態度や行動が控え目で、人の目を引こうとしないこと(さま)」、さらには、「土壌の良し悪し」というのも。
 総じて、日本人の美意識にとっては、「地味」は、好ましく感じるものだという気がします。むしろ、厳としてゆるぎないような、それでいて意識の表層にはあまりのぼらない基本価値が、本来だったのではないでしょうか。私にはそう思えます。
 それでは、デザインに「地味がある」とはどういうことなのか?なんでそんなことを問うのかと言えば、これからの『成長戦略』の発想は、このあたりにあるように思うからです。そこで、この一冊はどうでしょう。


地味のあるデザイン 日本の「家具」に導かれて小泉誠 著)



 「地」というと「図」という言葉も浮かびます。そう、ゲシュタルト心理学のあれです。『目立つ強いものが図として立ち上がり、地味なものは地として後退します。長い間、派手で図として立ち上がるものだけがデザインと思われてきました。」と、カバー見返しにグラフィック・デザイナーの山口信博氏が書いています。
 でも、「地は何もしていない、何もないスペースと考えがちですが、ないものがある場所なのです。」とも書いています。判じもののような言葉ですが、それは、何かが生まれてくる揺籃のようなことを言っているのかもしれません。
 筆者は自分で「僕は、小さな箸置きから人が住む建築まで、生活にかかわるものをデザインしています。肩書きは『家具デザイナー』です。」というように、家具デザイナーです。日本の家具は家と一体化したもの、区切りのないものとみているので、そういうことになるのです。さて、この本は、丁寧に、手間をかけてつくられた本だと、「この本のつくり方」にありますが、本書の「腑に落ちるまで」とかを読むと、それが著者の手法なのだと、腑に落ちるのです。たとえば、「鉄瓶がこうなった理由」では、なぜ、鉄瓶の底は、一面平らではなくて二段になっているのか?それは、なるほどという理由があって、昔の鉄釜にはスカートのような納まりがあって沸騰したときに溢れないために、熱を不均衡に受けるようにしてあったのだと分かったり、まあ、読んでもらった方が、断然わかるのです。
 仕事について、「何かひとつだけ、自分らしいものを見せて」と言われたときに、何を意識するとか。さらに、「日本全国がひとつの『産地』として連携していく時代」にあって、新しい分業体制のモノづくり、協働が模索されるとき、「地味」ということの価値観をもう一度見直してみることも必要でしょう。
 そういえば、『大辞林』の「地味」にはこんな言葉もありましたっけ、「土地の農産物を生産しうる力」と。
 とにかく、面白くてためになる本です。



Amazonでどうぞ