”ミー・マッピング”、自分を地図の中心におく

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。


小雪 第六十候『橘 始めて 黄ばむ』

 いよいよ寒くなってきました。今日は晴れあがって、風が強く、雲はありません。早朝、寒さがさし込むように感じる所はいかにも冬です。
 旬の野菜はホウレンソウ、原産国はペルシャだそうです。最近、ホウレンソウの卵焼きのおいしさを味あう幸せを体験しました。
 今日の珈琲は「エチオピアモカ」です。美味しい珈琲が淹れられた時は思わずうん、とうなずきますね。
 

オン・ザ・マップ 地図と人類の物語 (ヒストリカル・スタディーズ)サイモン・ガーフィールド 著)




地図の今が、時代の『今』を教える

 地図についての本は、興味深い。それはきっと、人間の空間認識の能力と深くかかわっているからだと思います。地図を書く、地図を読む、それらの能力は、よく考えれば考えるほど不思議な人間の営為と思えます。主に、場所を示すコミュニケーションの手段である地図は、この世界をどう認識して表現するのか、そこから始まって、認識される世界の姿を、現象の奥に潜む、見えにくいものまでを描きだすものになりつつあるようです。
 話は少し脱線しますが、20世紀の社会から変わって、21世紀の社会が本格的に姿を現してきたのは、2010年くらいになってからだろうと考えていたのですが、本書の冒頭のエピソード、フェイスブック社が2010年12月に公開した世界地図の記述を読んで、やっぱりと思いました。
 それは、同社の顧客データを使って、ユーザーのいる場所の緯度と経度をを割り出し、それらの座標と”友だち”がいる場所の座標とをむすびつけた、いわば「現実の人と人とのつながりを示した地図」だったのです。しかも、現実の大陸や国境も浮かび上がらせていたのです。
 「地図について書くことは世界の進歩を見直すことでもある」と著者は語っていますが、インターネットがもたらした驚くべき大変革は、「人間の空間認知能力の新たな再構築」に向かうだろうと指摘しています。すでに私たちは、「ひとりひとりが自分たちの地図の中心にいる。コンピューター、スマートフォン、あるいは自動車で、私たちはA地点からB地点へのルートを見るのではなく、自分の現在地から望む場所へのルートを表示させる。距離は現在地を基点に計測され、移動の経路までもが地図上に表示される。」のが当然の社会に生きています。
 
 さて、地図をめぐるよくある話に、男性の方が女性よりも地図を読む能力に長けているという俗説?があります。しかしこれは本当でしょうか。本書のコラムにはこうあります。「しかし、こうした先入観以外に、地図の読みとりの差について、もっと端駅に説明できる理由はないのだろうか?」と疑問を呈いした後で、「女性が地図を読むのが苦手なのは、地図が男性によって男性向けにデザインされているから、という理由はないのだろうか?」と続けています。それについての1999年のカリフォルニア大学の研究を取り上げていますが、続きは本書でどうぞ。
 また、カーナビの普及と人間が物事を見る方法への影響について懸念を表明していますが、同感ですね。「地理学と歴史、航海術、地図、人間のコミュニケーション能力、そして、周囲の世界と自分自身とのつながりを感じる心の喪失でもある」と。
 これは、アインシュタインの脳についてのエピソードと「脳の地図」につい手を読むとより深く考えさせられます。自動車が文字通り自動運転車になったときの事故の責任などのほかに見えざるリスクとして認識しておいた方がいいように思えます。


人は脳のどこで地図を読むのか

 人は、「脳のどこでどのようにして”地図を読む”のかということ」は興味深い自己認識の材料です。とまれ、本書で現在時点での地図を知ることは、今という時代の本質を少し知ることになるでしょう。アナタ、グーグル・アースで、人が最初に検索する場所がどこだと思いますか?
「なんらかの大きな体系の中で自分がどこに属しているかを知りたいという欲求は、人間の天性のひとつなのだ」と。
 さらには、ビッグデータがデジタル地図の形で表現されるとき、思わぬ実態があらわになります。そしてそれは、生活にメリットとデメリットをもたらすことになり、私たちは両者のバランスをどうとっていけばいいのか、そういうことの基礎認識にも本書は貢献するでしょう。
 


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