人は何故、、だれでもないだれかにあてて、手紙を書くのだろうか

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

小雪 第六十候『橘 始めて 黄ばむ』

 きれいに肋骨雲が西空にかかっています。高層で北からの寒気が強くふきだしているのでしょうか。寒さが肌にしみます。
 今日は珈琲は「ツッカーノ・ブルボン」、ブラジル産の豆は、素直に飲めていいです。


 郵政各社の株式上場のニュースが過ぎ去り、それでも、年賀状の季節を迎えようとしていますから、郵便事業というか、郵便局についても、ちらっと、意識にのぼることは多いでしょうね。
 さて、郵便事業ユニバーサルサービスの維持とは全く別次元の、こういう郵便事業、そして、郵便局が日本に存在していることを、本書で知りました。

漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かります久保田 沙耶 著)



 「漂流郵便局」の建物は、1964年、瀬戸内海に浮かぶ粟島に建てられた旧粟島郵便局のものです。今も実在します。粟島郵便局は1891年、明治24年に設立され、初代局長は中野寅三郎氏。
 「漂流郵便局」は、著者との出会いで生まれましたが、しかし、予定されていたことのように、本書を読むと感じます。著者は、そもそものきっかけについて語る中で、地図について「不思議なことに地図とは誰にも属さない情報体であるのに、読み方によっては自分だけのものになります。」と続け、さらに、「そんなだれのものであってだれのものでもなく、場所も時間さえもゆらいでいる漂流物のような手紙を受け付ける郵便局はできないだろうか、と思い至りました」と、「漂流郵便局」誕生について記しています。
 届いた手紙や現在の郵便局長との交流や、「なぜ人は返事のない手紙を書くのだろう?」という、「おわりに」のことばについて、ちょっと考えてみるのも、年の瀬、いい時間の過ごし方でしょう。
 目にすることもできない人やものへ、やむにやまれぬコミュニケーションへの欲求が文化の揺籃になり、遥か遠くの、見果てぬものを見たいという衝動が、人を直立させたという説がありますが、とにかく、漂流郵便局のもろもろは、ぜひ、読んでいただきたいと思います。
著者のサイトです。http://sayakubota.com/




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