いまどき『忠臣蔵』はうけるのか、それとも

 ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

大雪 第六十二候『熊 穴に 蟄(こもる)』

 写真を撮ろうとしたときに、烏の群れが15,6羽北西の空に飛んで行きました。
 今日の珈琲は「イリガチョフ」です。珈琲サーバーからの淹れた手の香りが柑橘系でおやっと思いました。

さて、明日から明後日にかけて、「あの日」です

 「ときは元禄十五年 師走も半ばの十四日」の名文句で知られる、そう、明日から明後日にかけては、赤穂浪士の討ち入りの日です。正確には、十四日の夜に集結して、十五日の未明にかけての吉良邸討ち入りだったそうですが。
 『忠臣蔵』と言っても、ピンとこない人が意外にいるご時世になったようで、私の周りの三十代から四十代にかけての女性にご存じない方がいらっしゃいました。

 ということで、忠臣蔵について、基本をおさらいのつもりで読んでみたら、意外に知らないことも多くて、面白くってためになりました。それが本書です。著者は、日本近世史を専門とされ、江戸時代に関する研究で知られています。NHK総合テレビの『タイムスクープハンター』シリーズでの時代考証などで活躍されています。


知識ゼロからの忠臣蔵入門山本博文 著 近藤崇 画)



討ち入りは47人、切腹は46人の謎

 まずは、『忠臣蔵』とはいかなる事件であったのかということです。「忠臣蔵の元になった赤穂事件は、元禄14年3月14日、播州兵庫県赤穂藩浅野内匠頭江戸城松之廊下で高家筆頭の吉良上野介に斬りかけ、切腹に処せられたことに始まる。赤穂藩は断絶し、旧赤穂藩士たちは苦難の生活を送る。そして、翌年12月14日深夜、47人の旧赤穂藩士が本所の吉良邸に討ち入り、上野介を討つ。殿中刃傷事件から大石内蔵助を始めとする46人の旧赤穂藩士が切腹に処せられるまでの一連の出来事が赤穂事件である。」と、本書はまず簡潔にまとめています。
 つまり、現実に起きた事件をもとに、歌舞伎を初め様々なエンターテイメント、小説などで、様々な解釈のもと『忠臣蔵』が作り上げられているということです。
 『忠臣蔵』=”赤穂事件”ではないということをまず知って、本書を読み進むと、元禄という時代の社会・経済状況が事件の背景にあるのではとか、47人の旧赤穂藩士が吉良邸に討ち入りしたことは、戦闘終了後の点呼で確認されているにもかかわらず、切腹したのは46人だったことや、その他の、新知識に巡り合います。寛延元年に登場して爆発的ヒットとなった『仮名手本忠臣蔵』の仮名手本というのは、いろは47文字を赤穂四十七士にかけたタイトルで、忠臣蔵は、大石内蔵助の名前に由来する、などです。
 さらに、元禄小判の改鋳が、貨幣価値の下落を招き、幕府財政の危機は回避したもののインフレにより庶民の暮らしは圧迫されるなど、おや、と思うエピソードがどっさりです。
 さて、日本人は、『忠臣蔵』が好きだと言いますが、私の少ない情報の範囲ですが、BS番組で一本だけというのは少しさびしいですね。似たようなメンタリティーの物語は韓国ドラマに多いのが影響しているのでしょうか。それとも、現代では、『下町ロケット』的にメタモルフォーゼされているのかもしれません。




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