”京都長屋”の劇的ビフォー・アフター

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のもです。

大寒 第七十二『雞(にわとり) 始めて 乳(とやにつく)』

 雪になるのか、雨で終わるのかはこれからの地表付近の温度次第ということになるようです。
 今日の珈琲は「ブラジルピーベリー&ガテマラ・サンタバーバラ」のブレンドです。豆の良し悪しは当然ですが、最後はやはり淹れ方だと思いました。今日は美味しくいただけましたね。
 

天使突抜367通埼睦美 著)



桓武天皇豊臣秀吉が出てくる『天使突抜』


 京都を案内するテレビ番組で、案内役として著者が出演していました。番組の最後の方で、『天使突抜』のことが紹介されていました。京都では、「ロウジ」とか「突当り」とか、特有の空間ことばがありますが、『突抜』は始めてでしたので、さっそく、著者の『天使突抜』に係る本を読んでみました。著者のことを知るのには、天使突抜一丁目―着物と自転車とを読んでいただくとして、ここでは、上記の本を取り上げました。ただ、ひとつだけ取り上げておくのは、「京番茶」のことです。「着物と自転車」の本を読んで、「一保堂さんのいり番茶」を、探してみようと思いました。

 さて、『天使突抜』とはそもそもいかなるものか、です。ここは、著者の語るところに耳を傾けなければ。
 「この家の住所『天使突抜一丁目』は、五條天神社に由来するもの。794年、桓武天皇の平安遷都にあたり、大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請したというこの神社は、後鳥羽天皇時代に『五條天神社』と改められるまでは『天使の宮(天使の社)』とよばれた。16世紀後半、豊臣秀吉が京都改造のために『天使の宮』の鎮守の森を『突抜ける」道を造り、そこを『天使突抜通り』とよんだ」ということに由来するというわけです。
 現在は、天使突抜通りは東中筋通りと呼ばれているのですが、町名として「天使突抜」が一丁目から四丁目まで残っているというのです。そして、著者はもともと自宅が、町内にあったところへ、歩いて三十秒のところに、家が売りに出ているのを知り、京都の長屋を改装する「ビフォー・アフターの物語」が始まったわけです。
 著者はマリンバ奏者にして古い着物のコレクターとして知られ、自宅には仕事にまつわる楽器を初め、着物の箪笥など、場所をとるものが山のようにあったわけで、その収納場所をどうするかは、本当は深刻な問題だったはずですが、この売家の発見をきっかけに、事態を改めて認識するというのもおもしろいのですが、この物件の改築に当たって集結する面々の紹介と仕事ぶりは、プロフェッショナルが集まってくる水滸伝的物語のようでもあり、また、、何かをつくりだすという、いわゆる通念で語られる「ものづくり」とは一線を画する、日本の職人的な、技や魂を感じさせて楽しいです。
 とまれ、京都に行ったら、ぶらりと歩いてみたい『天使突抜』です。いやあ、京都は奥が深い。



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