洋の東西を問わない文房具への偏愛、私は断固支持します

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

雨水 第四候『土のしょう 潤い 起こる』

 雲が空を覆い、天気予報通り、昼になると雨が降ってきました。さらに、予報通りとすれば、夜半にかけて、激しい風雨になるとされていますから、夜の外出は控えめにした方がよさそうです。
 旬のやさいは、明日葉だそうですが、あまり食べたことはありません。
 今日は、「モカ・マタリ」を淹れてみましたが、湿度が高いと温度管理もなかなかです。

ヒトは道具を使う生きもの

 道具を使って何かをつくることは、本質的に楽しいことだと思います。実は、2年ほど、シルバー人材センターで、植木職の仕事をしたことがあります。病気をして、植木職からは足を洗うことになったのですが、研修を終わって、自分の道具を買って、それを使いだしてからは、つくづくと、そういう気持ちになりました。剪定鋏の驚くほどの切れ味、刈込鋏の使いようで変わる結果など、新鮮な感動でした。私としては特に、植木鋏、「大久保」という名のついた植木鋏が好きでした。片羽のはさみが切れるのに比べて、両刃の植木鋏は、腕で結果が違います。刃渡りの長い植木鋏はなかでも、道具としての美しさを感じるほどでした。


 また、百貨店の物産展に熊本の刀鍛冶が出品していて、そのなかに、いわゆる葉鋏が、ありました。これは、葉先がとがっていない、関西風の菜っ切り包丁のような刃先の形状で、仕上げの砥石をかけた後きちんと水けをふき取っておくと、錆など浮いたことがありませんでした。

 さて、なにかの時に、押し入れの奥から引っ張り出した段ボール箱の中から、子どもの頃に使っていた文房具、たとえば、かなり減って丸くなった消しゴムとかチビた鉛筆、セルロイドの筆箱、「ボンナイフ」などを発見して、なにやら喜びを感じたことはありませんか?
 ヒトは道具を使う生きものですし、とりわけ、文房具は、文字に係る道具ですし、ヒトをヒトたらしめるものの本質に触れていると思うのです。どんな勉強嫌いも文房具のなかのなにかには、特別の思い入れがある場合が多いようです。文房具に対する偏愛は、洋の東西を問わないようです。そして、日本の文房具にまつわるあれこれのうんちく本と似て非なる味わいを持っている本が、今日の一冊です。


最高に楽しい文房具の歴史雑学ジェームズ・ウォード 著)




 「物にまつわる楽しみが本書の主題」と語るだけあって、「装丁やレイアウトがそのテーマにふさわしいかどうかも重要」とされ、本書は手に取って眺めるだけの楽しみもあります。
 
 ところどころにちりばめられたうんちくは、たとえば、「鉛筆が狂気や脅威と結びつけられるのは、一度書いても簡単に消せる、はかなさのせいなのだと思う。だが、そのはかなさゆえに、頭に浮かんだことを気軽に書きだせるともいえる。書いたものをいつでも消せるので、日記や手帖に書くときにも気負わずに何でも書ける。鉛筆にはいつでも逃げ道があるのだ。」というのを読んで、私は、なぜか鉛筆を、引き出しの奥から、ごそごそととりだしたものです。
 また、「文房具の歴史は人類の歴史だというのは、少し大げさかもしれない。しかし、考えてみてほしい。たとえば槍をつくる際に使われた天然のアスファルトとプリットスティックの糊。洞窟の壁に絵をかいた顔料とボールペンのインク。古代エジプトパピルスとA4の紙。スタイラスと鉛筆。これらのものはすべて、インダス文明の時代から使われていた定規を使って引いた、一本の直線でつながっている。思考するために、そして創作するために、僕たちはアイデアを書きとめ、頭の中を整理する必要がある。それを行うには文房具が必要だ。」という。まさにその通り。
 
 タブレットスマートフォンの利用が進めば進むほど、「結果的には物理的なつながりがこれまで以上に評価されるようになるのではないだろうか。」、どんピシャリですね。レコードやカセットテープの人気をみれば、ヒトの本質に根ざすものはそう簡単に忘れ去られることはないのでしょう。「ノートへの書き込みとタブレットへの書き込みの違いはさらにはっきりしてくるだろう。それぞれに利点があるが、違う目的で行われる別の行為として、一方が他方の足を引っ張るのではなく、共存していけるはずだ。」と。
 そして、最後にこう叫ぶ。
 「ペンは死なない。ペン万歳!





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