使い方は決まっていない「机」というもの

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

春分 第十候『雀 始めて 巣くう』

 良い陽気になってきました。桜もちらほらと咲き始めています。タマネギや白魚、土筆などが旬といわれます。
 今日の珈琲は、ジュピターの「バリ・アラビカ」でした。少し水の量が多かったような気がしていますが、久しぶりのアジアの豆、体のどこかがなごんでいるようです。
 
 さて、私にとって不思議な本というのがあります。つまり、なんでこの本があるのかという、そもそもが語られていない(推察されるヒントも示されていなくて、とにかく読んで、そもそもを考えさせられるというような)本は、著者が何を意図しているのかを探る、そもそも、そんなことに時間を費やすだけの興味をそそる本であることは大前提なのですが、興味をそそられること自体も考えなければならないのですが。
 そういう本が、これです。

ヒヨコ舎 著)




 この本に興味を持った理由は、以上のカラクリが明らかになってから考えて、自分でも腑に落ちる所があったのです。実は、実家で母親と暮らすようになり、マンションから越すときに、机周り一切は、収納の問題もあり、当面はあきらめることにして、パソコンと無線LANだけで、ダイニングテーブルが仮机という生活を2年続けて、結局、最近、文机のようなものをひとつ、和室に置いてしまいました。
 だから、机というのは、男には、やっぱり必要で、そこで何するわけではないのですが、いるのですね。
 本棚はあまり切実ではありません。
 さて、本書です。なぜ、このような人々の机を取り上げたのか、一言もないまま、机が紹介され、ひとびとの、机や仕事ぶりについての文章が続きます。登場するのは、漫画家、建築家、プラネタリウムクリエイター、コスチュームデザイナー、写真家、ロボットデザイナー、ブックデザイナー、人形作家、クリエイティブディレクター、ルアービルダー、自転車店店主、劇作家、イラストレーターです。
 がぜん興味がわいてくるような顔ぶれでしょう。
 机でやることは何か、やらないことは何か、、いろいろひらめきます。まあ、そういうことで。


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