答えは風に吹かれている?

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

霜降 第五十二候『霜 始めて 降る』

 朝、快晴だった空は、昼近くは一面に雲が空を覆っています。
 今日の珈琲は「エチオピア・カッファ」でした。モカの原種ともいわれているのだそうですが、それほどの酸味もなく、しかし、骨太な味わいでした。
 季節のさかなは鮭だそうです。やさいはシメジ、どちらもおいしい食材です。


村上春樹は第3の男になれるのか?

いささか旧聞に属するような気もしますが、しかし、最近のニュースでは新しい話題というか、まだ続いているようにも思える、今年のノーベル文学賞の話題です。今年も、ノーベル文学賞の最有力候補の一人に村上春樹氏が挙げられていました。もっとも、日本国内だけなのか、本当に欧米社会で、有力候補になっていたのかはわからないのですが。ノーベル賞を受賞し、一流紙の書評を書いている文学者が、村上春樹の作品を読んだことがない、というようなこともあるようですから、ひょとすると、特殊日本的現象なのかもしれないのですが。
 私といえば、告白しますが、村上春樹の作品について、過去に何度か挑戦を試みたのですが、忍耐が続かず、ついに読了できないという、村上春樹作品についてはなんの発言資格もない人間ですが、しかし、なんで毎年、彼がノーベル文学賞候補の、あたかも筆頭であるかのように名前が上がるのかについては、とても興味がありました。
 今年の結果についてはすでにご承知のように、ボブ・ディラン氏が受賞し、予想されたように違和感なく、受賞自体を無視しているということがありました。そんなニュースにも、そうだろうなという違和感のない反応が、私の友人たちの中では多数派でした。
 先の疑問ですが、あたかも、その疑問にこたえるかのような本がありました。それがこれ、

村上春樹はノーベル賞をとれるのか? (光文社新書)』(川村湊 著)
 


 もちろん、著者は、村上春樹は「第3の男」になれるという判断です。つまり、ノーベル文学賞受賞の日本人作家の第1の男は川端康成で、第2の男は大江健三郎、第3の男という意味は、村上春樹がこの二人に続いて、第3の男になるという意味です。
 本書を読むと、しみじみ、西欧の文化的価値観は、厳然として、日本人の我々の人の好い平等感を超えて、屹立していると感じます。文学というものの評価にそれが突出して現れていると感じざるを得ないのが、ノーベル文学賞の歴史と思えてきます。
 著者によれば、村上春樹の受賞は、スウェーデンアカデミーが、「第3の男(女? 村上春樹?)は、人類社会に普遍的な「世界文学」が、日本語によってなされていることの証明を求めるはずなのである。」ということであり、それが村上春樹によって満たされた時、彼のノーベル文学賞受賞がある、ということです。
 でも、「人類社会に普遍的」と認めるのは、スウェーデンアカデミーなんですよね。答えについて、著者は「村上春樹の小説が『世界文学』となりうる可能性はある」と断言しているのですが、それは日本語で書かれた世界文学であって、日本文学ではないということなんでしょうか?
 答えはまさに、ボブ?ディランが歌うように「風に吹かれている」ように思えてなりません。


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