なぜ歴史ミステリーなのか?

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

冬至 第六十六候『雪 下(わたりて) 出麦(むぎいずる)』

 今朝もきれいに晴れた、穏やかな感じの大晦日ですが、年々、それらしい感じの年の瀬とは思えない、いつもと変わらない12月31日です。まあ、多分、現役を退いているからでしょうが。
 本年一年、大変にお世話になりました。明年もよろしくお願い致します。義理の妹が亡くなり喪中です。新年のご挨拶は失礼いたします。
 
 さて、旬のくだものは「金柑」ですが、食べるのも嫌いではないのですが、種が結構あります。金柑というと明智光秀のことが思い浮かんできます。

 伝奇ミステリをと考えていましたが、適当な本に巡り合いませんでした。そこで、歴史ミステリーに切り替えて、出会いがしらの一冊です。


漂流巌流島 (創元推理文庫)高井忍 著)
 


 むかし、著者が第二回ミステリーズ!新人賞を、本書の表題作「漂流巌流島」で受賞したころ(多分そのころだと記憶していますが、)、私は仕事で、同僚と一緒に、JR門司駅に視察に訪れ、副駅長さんに連れられて(そのころには、いわゆる助役という肩書は、行戦組織では使われなくなっていたようにも思います。だから、副駅長に案内されたと記憶しています。)、駅の屋上から、「あれが巌流島です。」と教えてもらいました。でも、正直言うと、はっきりとわからなかったのですが、「へーそうですか。」などと、相槌を打っていたように思います。
 そんなことがありましたので、本書のタイトルを見て、すぐに読んでみようと思ったのです。
 歴史ミステリーと言うのは、大抵というか、まず、定説とみられている出来事の、実はとんでもない意外な真実が隠されていて、その結論に、経緯は様々なんですが、たどり着くというものでしょう。そうじゃなければ、わざわざ、詮索をしてもしょうがないことになるのですから。しかし、なぜ歴史ミステリーなのか、現代ポリティカルスリラーじゃなく、警察モノでもなく、犯罪小説でもないのは、なぜなのか。多分、面白いからでしょうね。歴史的事実と、推論と、その果ての論理の整合性が、埋もれていた真実の可能性を浮かび上がらせる、というのが。
 本書では、主人公「僕」は、ワトソンですね。監督がシャーロック。集めた資料の解説や、仮説を聞きながら、それを分析・再構成して、一定の結論にたどり着く。ただし、歴史ミステリーですから、果たしてその推論が正鵠を射ているかどうかは、読者の判断にゆだねられるというわけです。
 正直、面白かったです。
 最近、新しい一冊が出ています。『浮世絵師の遊戯 新説 東洲斎写楽』と、こちらは最近の文庫化『蜃気楼の王国 (光文社文庫)』です。どちらも、歴史ミステリー作家としては、一度は挑戦するであろうテーマだともいえます。これは読まないと。





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