老人の壁が明かす、イギリスのEU離脱とトランプ登場の意味

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

穀雨 第十八候『牡丹 華さく』

 良い天気の連休が続いています。実は、結構忙しいのです。
 今日の珈琲は「モカ・マタリ」でした。
 間食は、先だって、中央・総武緩行線「高円寺」駅の「あずま」で心太を食べました。ちょっと甘めのたれでしたね。昨日は追分団子の草団子を一本、一週間というインターバルで、コントロールが続いています。

「老年的超越」の世界の具体がここに!

 さて、このところの激動の日本近海の情勢ですが、時代がぐるりと動きそうにも思えますし、これまでの時代の底流が湧き水のように表面に盛り上がってきているともかんがえられます。
 そこで、意外な本が、読み解き方を暗示しているように思えます。その本が、養老孟司氏と南伸坊氏との対談集です。

超老人の壁養老孟司 南伸坊


 養老孟司氏は、「壁」という言葉が好きなのでしょうか?
養老氏は「壁」という言葉に独自の意味を持たせているよいうにも思えます。たとえば、「人・物・金が国境を超えるっていうのが、グローバリゼーションなんだけど、いくら国境を越えても、どこかに境が、壁があることは間違いないんで。」とか話していますね。
 ところで、前作「老人の壁」は、心が軽くなる対談集がうたい文句でした。「人生に発見がある限り、老後は明るい、というのは、まさに、老年的超越の世界。啓蒙の書だということです。今回は思索が深まる対談集と銘打たれています。
 「0」と「1」の間で人間は生きている、とあるように、デジタル化されていく世の中で、人間らしく生きて、老いるには、AIなんかこわくない!というのですが、このテーマ、実は深い世界が展開されていくのです。


方丈記』の時代は、身体の時代

 さらに、現在を生きる老人についての対談は、今の時代を照射し、いろんなことを浮かび上がらせるのです。「日本人って、大きな災害があったりすると、『方丈記』や『平家物語』の世界に戻るんですよ。あの時代の日本人は、身体の時代を生きたんですね。」ということで、今は、どんな時代なのか。
 養老氏は、身体の時代と意識の時代、日本はこれを繰り返してきた歴史だというのです。ここまでは、意識の時代が続いてきていたということは確かなのですが、ひょっとして身体の時代が始まっているのかもしれません。人間が作り出したものと自然が作り出したもの。身体の時代と意識の時代、人間が作り出したものは、つまりは意識が作り出したもの、頭の中にあるだけのものだから、同じものを作り出していく。同一性の原理でしょう。
 その養老氏曰く、「現代人のみんなが抱えている最大の問題の一つが、毎日、毎日、日々新たっていう、生きる感覚がね、どんどん消えていくことですね。」と、それは何故か?「世界を同じもので埋め尽くそうとしているから」だというのです。それが、「0」と「1」で出来ている世界で、「世界をコピーで埋め尽くそうっていうのが、我々現代人がやっていることですね。」というわけです。
 それへの反発が、イギリスのEU離脱でありトランプだと、「つまり、あれは『同じにしよう』っていう圧力に対する反発でしょ。」、というわけで、「老人の壁」は、時代の転換点へと思索を深めてくれるのでした。まさに、うたい文句通りともいえます。



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