道具にこだわりのない人、こだわる人
ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。
最近の気候は、きっぱりとしているというか、これまでは、どちらかといえば、暦の上ではもう秋なのに相変わらず暑さが厳しい日が続いています、というような季節感にグラデーションがあったように思いますが、最近は、立秋ということになれば、本当に秋になるという、暦が折り目正しく実現されているような気がしています。
今日の珈琲は「パナマ」でした。
人にとって『道具』とは?
あなたは、「なぜこの筆記用具を常に使っているのですか?」と聞かれたときに、明快な答えを持っていますか?
デジタル時代にアナログなツールを使って、文字を書き、文章を紡ぎだすということについて、まずは手帳というフィールドのことを取り上げてきましたが、筆記用具とのセットで考えなければ変ですよね。昔使っていたシャープペンシルのことを知りたくて、あれこれネットで調べていたところ、本書に出会いました。
今考えていることに示唆の多い本でした。書籍にまとめた佐藤卓氏が、「私自身が道具にはこだわりがあるところから、たぶんデザインに関わる人は、みんなこだわっているだろうから」と思っていたところ、その思い込みは、現実には、ばらつきがあって、それが、人と道具について、さらに踏み込んだ認識に到達しています。
本書の「はじめ」にこうあります。
「道具というものは、そもそも身体の延長線上のものである。つまり身体化できるものでなければ道具とは言えない。」
「道具にこだわりのない人はなんでも身体化できる柔軟性を持っているということかもしれない。逆に、使う道具にこだわる人が、その他の道具を使えないとはとうてい思えず、こちらの方は敢えて言うならば儀式のようなもののようにも思える。その道具と向かい合ってことを始める儀式のような。」
脳で考えを一度外に出し、視覚を通じてまた脳に戻すなかで見えてくるもの
「脳で考えたことを手という道具と更に手に持った筆記用具を使って一度外に出して、視覚からまた脳に戻して、そしてまた考えることを繰り返している。」というのは、デザイナーに限らない、例えば文章を買うときにも起きている、人間の創造的な行為の方程式とも思えるのですが。
「その連鎖の中でクリエーターは何かを見付けている。」もちろん、それは、私たちにも、程度の差はあっても、当てはまる。
その時、私たちにとっての筆記用具とは一体どんなものなのか、それを考え、自分はなぜこの筆記用具なのか?それを考える手がかりになるのでは?
道具と人、そしてモノと人との関係が垣間見えた時、これだなという、道具に出会うのではないでしょうか?
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