明日はどっちに流れる?

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。


立冬 次候 『地始凍(ちはじめてこおる)』
 旬をむかえる食べ物といえば、『牡蠣』もそのひとつ。先日、上野の精養軒「3153店」http://www.seiyoken.co.jp/shop/(ちなみにサイゴーサン、と読むらしい)でアメリカから一時帰国した友達を迎えて、メシを食う会を行った時に、カキフライが出ました。牡蠣に冷えたシャブリという楽しみのうち、シャブリは断念したのですが、あわせて、揚げ物も敬遠しているため(数値は改善したので、少量はいいのかなとも思いますが)、残念でした。あの「ケンジ」君は、美味いを連発して、「どんどんたべろ」と言いながら、大半を食べていました。
 季節感で言えば、旧暦七二候の言葉がぴったりのような天候ですが、七二候について、面白い本を二冊発見しました。一冊は、うつくしいくらしかた研究所の『くらしのこよみ 七十二の季節と旬をたのしむ歳時記』です。

この本は、スマホアプリもあって、「日本人が古くから日々の暮らしの中で実践してきたことや、暮らしの中にあった考え方に改めて注目し、現代にも受容される「うつくしいくらしかた」を研究・提案するプロジェクト」というのが、研究所のそもそもとされています。エコな掃除機への進化より箒をうまく使いこなせるようになった自分の進化を嬉ぶ、ということは、断念した(断念が多いですが)植木職人の修行中のことを考えると肯けます。
 今日の珈琲は、久しぶりに訪ねた喫茶店で買った『モカマタリ』でした。かつての味に近い感じがしたのですが、挽き具合と温度管理に工夫がいるようです。ということに関係して、もう一冊は、福井純子著『京都 お茶の歳時記 お茶と暦と素敵に暮らす』です。

 著者は、あの、『福寿園』の社長夫人です。ときどきにあう、お茶とお菓子の話題や、料理など、あるいは、京都の老舗の、著者ならではの紹介が肝ですが、特に感心したのは、二十四節気それぞれに、お茶が選ばれていることです。もちろん、福寿園のお茶から選ばれているのが基本ですがね。季節感とそれに見合ったお茶というのは、なるほど、余人にはなかなかできないことでしょうね。
 それで、この二冊を合わせて考えると、二十四節気それぞれの珈琲があってもいいのではないかとおもいました。でも、これは今日の本題ではありません。


明日はどうなるのか、誰も知らない

 中川淳一郎著『ネットのバカ (新潮新書)』にはこうあります。「ネットはこれからどうなるのか?ネットで儲けることは可能か?既存メディアはネットでプレゼンスを高められるのか?企業はネットでファンを増やせるのか?我等はネットで評価を高められるのか?」、そして答えは、「だが、私は自分でも呆れるほど将来を見通す目がない」と。

 しかし、それが普通で、この本のいいところは、見失った普通を再認識するところにあるのでしょう。「まずは自分の能力を磨き、本当に信頼できる知り合いをたくさんつくれ。話はそこからだ。」というわけです。『企業が知っておくべき「ネットの論理」』に出てくる、エステー化学消臭力のコマーシャルの話は、興味深いです。
 こんな視点からネットを見ていくことが、当たり前になったインターネットの利用法を、普通にすると思います。


違う『ノマド』のノマド
 その一方で、大石哲之著『ノマド化する時代 (ディスカヴァー・レボリューションズ)』という、明日もあるのでしょうか。

 ここでいう「ノマド」とは、よく聞く、「ノマドワーカー」とは違います。こちらのノマドは、最近ではあまり聞かないですが、考えてみれば、喫茶店で仕事するのは、別段特筆すべきことではなくて、ずっと昔からそうだったし。
 さて、こちらの『ノマド』です。ジャック・アタリの著作を引いたりして、望むと望まざるとにかかわらず、ノマドを強いられるところに問題があるようです。いわく、国境を越え、組織を超えて仕事をする、ハイパーノマドやプアーノマドの出現、そして、ラストワンマイルジョブにしがみつく中間層(しかし、最終的には人間がその土地にいて、実際に現場で作業しなくてはならないような仕事は日本に残るという、まさにその仕事で、高賃金が保証されるわけではない)、というビジョンですが、「国籍というものが、自分が愛着を持って”帰属”するものではなく、単なる数ある”制度”のひとつになってしまう未来をうかがわせる」というのですが、国が頼りにならない時代が来るのではという予感を共有して、もうひとつの時代を感じさせるのが、布施克彦著『年金に頼らない生き方: 60歳から20年、月10万円稼ぐ方法 (PHP新書 885)』です。


「キョウイク」と「キョウヨウ」はあるか
 月10万円、年金とは別に収入を確保する、これができれば、本人も当然、私は、日本経済は確実に上向くと思いました。だって、そうなれば、五万円くらいは小遣いに回るかもしれないし、消費を拡大するでしょう。何しろ年金世代なんですから。その準備を現役の最終局面から、あるいは、年金受給者になってなるべく早い段階から取り組んでおくことが重要だというわけです。
 現実社会で、体を動かせば、ネットの世界と違って、そこそこお金になり、国内に、そこでなければ出来ない仕事は残っているなら、チャンスはあるわけでしょう。得意技を活かす、取り柄がなくても大丈夫な方法とは、さまざまの工夫があるようです。私もシルバー人材センターで、植木職で稼いだのはほんの一年前です。
 「キョウイク」と「キョウヨウ」が、高齢者に必要なものだ、と著者はあとがきで紹介しています。もちろん、「キョウイク」とは「今日行くところ」、「キョウヨウ」は「今日する用事」のことだといいますが、朝からテレビを見て酒浸りよりはずっといいでしょう。
 好むと好まざるとにかかわらず、明日の生き方は自分の問題で、”帰属”するのは、まずは、家族や地域のコミュニティーで、それは、『国』と国家が違うのではないかと感じ始めている人が多くなっているとすれば、もはや、国家を意識せずに流動化している人々が普通になりつつあるのではないでしょうか、などなど、いろいろと考えさせられます。
 

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